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ららら科學の子(失われた時間と不運にすごされた年月をおぎなう法) [読書系]

ららら科學の子

ららら科學の子

  • 作者: 矢作 俊彦
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/09/25
  • メディア: 単行本

矢作俊彦はなぜ現在こんなにまで不遇なのだろうか。
代表作といわれているものは手に入らないし、新刊が出ることも稀だ。
このあたりは小林信彦とよくにていて、文学というのがショセン、マニアが一方的に偏愛するものに過ぎないことがよくわかる。文学オタクなんて言葉も生まれるぐらいだし。すでに基礎教養ではないのだ。つい何十年か前まで、マルエン全集に触れたことがないなんて、ある程度以上の大学生にとって非常な恥であったのに。

「ららら科學の子」はあの懐かしき60年代学園紛争のさなか、警官殺人未遂を起こし指名手配された主人公が「軽い気持ちで」中国における文化大革命をこの目で見ようと手引きされ、密航したのはいいが、農村下放に巻き込まれ、以来電気もガスもない山奥の農村で30年にわたり生活するハメにあった後、21世紀初頭の現代日本に戻ってくる。そして自分の「失われた時を求めて」カルチャーショックなどという言葉では到底間に合わない文明の衝突を経験し続ける物語である。

この本を読んでいる間、カスパー・ハウザーが出現当時所持していたお守りのセリフ-失われた時間と不運にすごされた年月をおぎなう法-について考えていた。カスパーとこの物語の主人公は同じ意味を生きる。

よく編集された映画を見るように、現代と中国奥地での非文明的な生活、30年前の熱くあつい日々が見事にカットバックされている。それはあの「意識を流れ」を表現した「失われた時を求めて」「ダロウェイ夫人」と同じ薄皮を丁寧に貼り合わせた人間の記憶、薄皮をはぐとその下からあらわれる別な記憶、記憶と記憶と記憶の連続性のなさ、そこに通底する意識の流れ。過去へ行きつ戻りつしながら、彼は自身というモノを見る。
それは私の姿であり、人々の姿であり、日本という国の姿でもある。

前作「あ・じゃ・ぱん」(東西冷戦下において日本が東日本をソ連領、西日本をアメリカ領として統治されたという設定の偽日本史)と同様に、「30年前を生きる日本人が凍結されたマンモスさながらに突如現代日本に現れ、文明の衝突に体を揺さぶられ続けながらも自分自身とは何か、答えを見いだしていく」どうしてこういう設定を考えつき、なおかつSFにならないというアクロバティックな離れ業を成し遂げられるのか、と驚嘆せざるをえない。つくづく天才を思う。

岡崎京子を読んだときも思ったけれど、同時代に天才が生き、その人の書いた本をリアルで読める、それは何事にも代え難い歓びと興奮である。

矢作俊彦という一人の天才が、あまりにも評価されなさすぎている現状に怒りよりも呆れと冷笑をかんじる。


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「切ってはいけません」上と下、皮一枚の悩ましき関係 [読書系]

切ってはいけません! 日本人が知らない包茎の真実

切ってはいけません! 日本人が知らない包茎の真実

  • 作者: 石川 英二
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/09/21
  • メディア: 単行本
 
殿方というのは実に不可解なイキモノで御座いまして、皮一枚に対してなにやらアイデンティティをかけているムキも多いご様子。一皮むけているかいないか、これはどんな立場世代年齢職業の人間であれ、非常に気になるようですな。オトコたるモノ、ムけていなくては一人前といえないし、ムけきってしまえば赤玉が歳末大売り出しとなってしまうやもしれず、一長一短、どちらがいいとは言い難し。
 
昔から例のトックリセーターの襟で顔を半分覆い、こちらをチラっとみている例の美容形成外科の広告は、東西を問わずあまねく広く男性の間にて周知徹底されている模様。私は以前、セーターを脱ぎかけた男子二人が大爆笑していたのを目撃した経験があり、当時は純真な処女だったものでなんのことやらさっぱりだったのですが、今じゃ、坊やそんなこと気にせんでもええのですよ、と怪しげな方言で話しかけられるようにもなりました。大人ってステキ。閑話休題。

この本は、男子中学生が「手術したいのだけれども」と医者(=筆者)のところへ相談に来た、という体裁をとっている。そして(架空の)男子中学生との対話で進行していき、その会話を通して包茎とはなんなのか、医学的にどういう状態なのか、果たして日本人に包茎は多いのか否や、と硬くあくまで真面目に考察していく内容である。このテの質疑応答形式の本にありがちな、作者にとって答えやすい都合よい質問ばかりを縷々のべ、お手盛り感で腹いっぱいというような生ぬるい本と思ったら大間違い。男子中学生は包茎擁護・ナチュラルがいいんだ派の立場をとる医者に対し、徹底的に懐疑的な質問を繰り返していく。そのあたりにあざとさを感じないでもないが、ただやっぱり包茎イコール悪という価値観の中にいる思春期真っ盛りな年代を想定すれば、致し方ないのかもしれない。(そのあたりどなたか思い当たる方のご意見伺えれば幸い)おまけに巻末には包茎手術今昔といった趣のある、皮をべろんちょと切開していた昔と縦に切って横に縫うというなかなか想像しづらい現在主に行われている包皮を温存する手術の違いがわかりやすいように図解で記載されており、「ナチュラルなのがいいけど、どうしても手術する場合はこうなるよ」という懇切丁寧さ、そういう意味では悩める世代へ直球ダイレクトなつくりになっている。「ペニスと海綿体の構造」なんてまるっきり医学書。こういう真面目本によくある失笑も、作者のフランクさゆえにあまり感じない。しかしエノキダケみたいな図式にはさすがにちょっと。まあそういうわけである意味実用本。形式が形式だけに、読みやすく割りと早く読了してしまった。

しかしこの本、よくある「性について知りたいがちょっと恥ずかしいアナタに包茎のすべてを教えましょう」的な性教育本であるかというとそうではない。その包茎にまつわる雑学ネタのオンパレードには、皮についてはちょっとうるさい私のような人間でなくても、ほう、と唸らずにはいられないほど。皮があろうがなかろうが、それをじっくり考える機会にはもってこい。皮がある人もそうでない人もオススメ。(ただ難点がないわけでもなく、ユダヤ人の女性には子宮頸ガンが少ないそうだが、厳密な意味でユダヤ人という人種はいるのだろうか。私自身はユダヤ教を信じる人=ユダヤ人という認識だったので、このあたりは?と思った。イスラエル人と混同しているような気がする。私の認識が間違いならどなたかご指摘お願いします。)
個人的に本編を読んでなるほどと得心した記述を二三あげてみる。

一、医学的には仮性も真性もないそうだ。反転可能であれば包茎ではない、とみなされるという。

一、イスラム・キリスト教圏では割礼(生後間もない男の赤ちゃんに手術をほどこして皮を切除してしまうこと。アブラハムが皮を切って神への誓約としたことがその由来)が盛んだが、最近では失われた皮を取り戻す運動が繰り広げられているそう。ちなみに自身の創意工夫で皮を蘇らせたオーストラリアの男性がそのために費やした日数は30週とのこと。

一、ローマ時代に尊ばれたナニは小さくて包茎であることが条件だった。

一、古代のオリンピックが全裸で行われていたことはかなり有名だが、先っちょをだすのは非礼とされた。そのため割礼してボロッとでてしまう男性(または皮があまりない方)は皮を引っ張り紐でとめて露出しないようにした。これが長じて包茎へ戻す手術が考案されるようになった。

一、現在世界的な趨勢は「包皮維持」。中でもオーストラリアでは1950年代男性の約9割が幼児期に包皮切除手術を受けていたが、現在では1割強にまで落ちている。

一、平田篤胤は「外国人は包茎だ」と差別する和歌を残していた。

一、韓国の包茎手術率は若い世代で9割以上。中にはおじいさんが「息子に世話されるときに嫌がられてはいけない」と手術に踏み切る例も。

一、近年の研究で、皮の部分には重要な神経が存在することがわかった。先っちょが圧迫などの強い感触に反応するのなら、皮の部分はソフトタッチ、軽い感触に反応するようにできているらしい。
巻末には参考文献がいっぱい。検索方法も載っているので原典にあたりたい人には非常に親切。私は今まで皮マニア的観点から擁護をとってきたけど、嗚呼お母さん、それは間違いではなかったのね。とりあえず某形成外科の広告が気になる、あるいは皮一枚について考えてしまう方は必見。恥ずかしいなんてカマトトぶる方はamazonでどうぞ。

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