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「ミュンヘン」軋轢につぶされていく男たち [映画系]

私の父はイスラエル建国の父と呼ばれるダヴィド・ベン=グリオン初代イスラエル国首相にお会いしたことがある。いまからもう50年近く昔の話だ。
父は青少年育成基金という団体の交換留学生としてインド、イスラエルを旅した。もちろん飛行機なんてという時代ゆえ全行程船旅である。幼いころみせてもらったイスラエルの通貨を、まだ父は所持しているのだろうか。
ベン=グリオン氏は日本からきた留学生をその自宅で迎えたそうだ。その様子をもっと聞きたかったが、遠い記憶はさまざまな出来事を紛らわしてしまう。
「こんなことをイスラエル人から言われたよ。“パレスチナで使われる数学の教科書はこんな具合だそうだ。『丘の上にはユダヤ人が5人います、2人殺したらさて残りは何人でしょう?』”冗談なのかはわからないけど…彼は信じているような様子だった」ユダヤ流の苦いユーモアだったのかわからないけれども。そして今は故国(ホーム)独立宣言から60年近くたったけれども。
不寛容。イントレランスという4つの時間軸の中で行われる“不寛容による悲劇”をグリフィスは描いた。表現はときとして鋭く私たちに問題を突きつける。だがその表現が問題となることもある。それが民族宗教問題と絡み合うと不寛容の連鎖は世界を覆う。今この瞬間においても。なお。

そういうわけで私たちはミュンヘンを見に行った。

まず映画は冒頭でミュンヘンオリンピックで起きた出来事をテンポよく伝える。当時のニュース映像を交えながら、さすがはスピルバーグ、見事な編集。ざらついて退色させた映像が「いまここで」テロが遂行されている緊迫感を秀逸に表現している。
イスラエル上層部は、このテロに報復するため、英雄的な活躍をした軍人の息子でありモサド工作員であるアブナーが選抜される。彼は民族の憤りという大義のため暗殺部隊のリーダーという大役を引き受ける。アブナーは旅立つ。妊娠7ヶ月になる妻を残して。

アブナーが率いる特殊部隊には、様々な経歴の年恰好もばらばらな男たち4人が在籍する。爆弾製造は夜学で学んだ、というおもちゃ屋、心配するのが仕事の暗殺現場を後始末する役の男、“俺は射撃の訓練はうけてないのだが、ちゃんと豚どもを殺せるのか”とアブナーに問う車両のスペシャリスト、これだけ料理がうまいのだからリーダー役も大丈夫さ、と笑う文書偽造担当。彼らはミュンヘン五輪で殺害された選手団11名と同数のPLO関係者を殺す。欧米で暮らす彼らを一人一人、確実に抹殺していく。だが、やがてアブナーたちも一人、またひとり、報復の渦の中に巻き込まれていく。

ストーリー展開も凝っていて、ミュンヘンオリンピックの悲劇を冒頭であっさりと終わらせ、あれ?そんだけ?と思っていると、意外なところで意外なカタチで展開されて実に心臓に悪い。ミュンヘンオリンピックの悲劇を主人公アブナーの強迫観念と一体化させるあたりに、スピルバーグのうまさをみせている。やっぱり編集なんかうまいねどうも。バーダーマインホフギャングとかそのあたりの話がでてきたりして脚本もよく練りこまれている。(しかしなんで岡本公三のはなしがでてこなかったのだろうか)パワーゲームのあたり(おそらくアブナーたちの情報を流したのはフランスの情報屋だろうし、そうすることによって「取引」を成立させているのだろう)のあぶり出しのウマさなどはさすがという出来である。

しかし私はどうもこの作品に納得が出来ない。(以下ネタバレご注意あれ)

前述に『強迫観念との一体化』と書いたが、これは果たしてどうなのか。ドキュメンタリータッチなのに、この悲劇、選手団が殺されていくシーンをなぜアブナーがセックスするシーンにもってきたのかよくわからない。エロスとタナトスなんて使い古されたことやるなよ、と苦笑。思いっきりな顔して(「あおおおー」みたいな)アレなシーンと選手団が無残に殺されていくシーンがどうにもそぐわない。しかも描くと「なんだよその殺戮場面は主人公の妄想ですか」と思えてしまったりする。重要な部分をあのようなカタチで描くセンスにどうにも得心できない。スピルバーグらしいといえば例のギャグ(緊張するシーンにベタなギャグを盛り込んだりするやつ)も相変わらず挿入されていたし。妙に感心した点といえば、仲間の一人がセックス中に殺されたらしく、アブナーが彼の部屋に行くと、全裸でベッドにて息絶えている、というシーンがあるのだが、ちゃんとナニが割礼されていたところ。ああいう妙なディテールにこだわるあたりが(しかも几帳面にもそこがうつるようにしていたり)スピルバーグらしさ、ともいえる。そして例によって例の如く、あんまりプラスには働いていない。

そしてこれは演じた役者の力量にかかわってくるのだろうけれども、アブナーたちに報復が始まり、追い詰められついに最後の敵を討ち果たさずに任務がおわる終盤、アブナーが国家による犯罪と自分自身の倫理観(ユダヤ教に反する)の板ばさみになるこの映画の肝ともいえるところで、圧倒的に説得力がない。彼が国家という重圧に押しつぶされていく姿、つまり分不相応な役もらって自滅しているようにしかみえない。前半もう少し強固な使命感をみせてくれるとそのあたりが明確になってくるとは思うのだけれども、なんとなく任命されたからやりました感が漂ってしまうと、国家と個人、国家による罪の告発という印象が薄れていく。

そして最後、確かに「ワールドトレードセンター」を映し出すあたりなど、心憎い演出だが、結末のあっさりさ加減がどうにも突っ込み不足だ。個人的には扱っている情報量、問題意識、どれも映画という枠には収まりきらないのではないかと思う。もっとテロの戦いに徹してその背景に「不寛容、国家による犯罪」をあぶりだすようなつくりのほうがよかったような気がする。どちらにしろ、少々準備不足の感は否めず、こういう作品を作るときのスピルバーグの問題意識が力みかえる姿だけが印象に残った。


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