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「クラッシュ」 [映画系]

「クラッシュ」を見に行こうと、唐突に思いついた。

有楽町シャンテシネの最終回にようやくすべりこむ。知人を待つために、ゴジラ像の近くで風に吹かれていた。青々とした木々の生命力を眺めていると、i PODからはダニー・ハサウェイ「What's going on?」が流れる。出来すぎていると思うのはこんな瞬間だ。日は暮れていく。春はすぐそこではなかった。ただじっと私の傍らで息を潜めていただけだ。いつのまにか顔に突き刺さるように冷たい風がふきつけることもなくなっている。いま私の身の内を行過ぎるのは甘さと穏やかさが渾然一体となった、ある種の高揚する予感を感じさせる--それは間違いなく春の風だった。 変化はいやおうなく訪れるのに。変わらないものもある。不寛容の連鎖だ。

映画のストーリーは、人種が角つき合わせて暮らす街ロサンジェルスが舞台。ペルシャ人はイラク人に間違えられて嫌がらせをされる、タトゥーとごつい外見からギャングと罵られる家族思いの鍵職人、平気で罵るアッパークラスの欲求不満妻(どうでもいいが初めていいなと思ったサンドラ・ブロックのデカ口を)、レイシズムを自らの出世へ利用するその夫である検事、「くそったれの白人ども」を嫌悪する黒人の車泥棒、そいつらにクルマをのっとられそうになるTVプロデューサーの黒人、老父の介護の鬱屈をプロデューサー夫婦への差別的痴漢行為で発散させる白人警察官(惜しかったなあマット・ディロン、髄液だしたジョージ・クルーニーなんて相手悪すぎ)、そういう行為を目の当たりにしてうんざりするリベラルな白人警官、だが彼も自身の内なる「差別の芽」に後ほど気づかせられる羽目になる。黒人刑事は「白人女とファックしてる」とドラック中毒の母に告白し、ブードゥのお守りは黒人青年を守らなかった。売り買いされる人々。一日。錯綜する人々と、でも間違いなく日は昇り、新しい時間が始まる。

この映画を見て思い出したのは、「ジャンクフード」という山本政志監督の作品だった。あれも一日の話で、人種対立やチーマー(懐かしいな既に)の抗争、ドラック中毒のヤツが入り乱れながらもなんとなくまとまっていくような、不思議とイイ映画だった。あの映画が日本的な「和」をあらわしているのなら、この映画はアメリカ的な「不寛容」を象徴しているような気がする。まるでぶつかりあわなければお互いを理解できないと思い込んでいるような。

何点か気になるところがなきにしもあらず。112分は意外に長く、正直もうちょっとカットできたんじゃネーノ?という気がしないでもない。東洋人のカップルがお互いをフルネームで呼び合うのは、違和感を覚える。そして結末に生じる「ある和解」があまりにも安直であるとは思う。だがそれも終わったあとに気づかせる類。それほどの出来栄え。ポール・ハギス、初監督なのに凄いです。

小さな差別は加速度を増し、連鎖し、人を巻き込み大きなうねりとなって、僅かな奇跡と過大な災厄と消えない傷を撒き散らし、怒涛の如く流れていく。営みは残酷で、でもそれがあるがゆえに「いまここ」に私は生きている。私の後ろにも前にも死体が累積している。同じように草臥れるまで、私は死体を増やし続ける。だが小さな奇跡が、この地球上のどこかで起きているとするならば。この生も無駄ではない。和解は容易ではない。不寛容はやむことなく繰り返される。差別を区別に出来る日はおそらくこないだろう。しかしそこを目指すからこそ、意味がある。 『でも、やるんだよ』

やるせない気持ちを冷徹に見据えるために、この映画を『アナタ』は見るべきだ。「私」のように自分を見つめ直す結果となるとしても。


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